抜け出したいグループ、辞めたい組織、断ちたい関係があるのに、それができなくて悩んでいる人は少なくありません。
例えば、ママ友、自治会、家族、親戚などとの人間関係で、「抜けられない」「自分が辞める訳にはいかない」「続けざるを得ない」「欲求を飲まざるを得ない」と嘆く人がいると思います。
しかし、その組織に所属しないといけないと誰も決めていないし、抜け出してはいけないとも誰も決めていないのです。
「○○せざるを得ない」というのも、誰も決めていないのです。
それは自分で勝手に思い込んでいる事です。
大人であり経済的にも自立している社会人は本来、職業も住む場所も、付き合う人も所属するグループも全部選べるはずです。
大人になれば、こんな田舎は嫌だと思うなら都会に引っ越すことができ、何かスクールに通うのも自由ですし、辞めるのも自由なのです。
転職するのも自由です。
犯罪さえ起こさなければ自分を縛るものはないですし、そもそも他人にあなたの行動を制限する権利などありません。
新型コロナウイルスの感染防止対策でも、海外のようなロックダウンという強制的な都市封鎖・移動制限や営業停止措置が日本では行われないのも、他国よりも人権がより尊重されているからです。
「会社の上司が辞めさせてくれない」という人がいますが、解雇する権限はあっても、本人の意思で辞めたい人を引き留める権限などありません。
「辞める」が言えないのは、「相手の否定的な反応を見るのが嫌」「今の自分が抜けると他のメンバーに迷惑がかかるかもしれない」「無責任だと思われるんじゃないか」という恐れがあるからだと思います。
これはおそらく、あらゆる組織や団体から抜け出したいのに抜けられない人の共通の恐怖感だと思います。
つまり、自分が追い詰められたり不満があったとしても、「良い人でいたい」という願望が強いのです。
しかしそれは、自分の中の「こう思われるんじゃないだろうか」という根拠のない妄想に過ぎません。
実際そういう場面でいい人として振る舞ったとしても、誰もあなたのに何もしてくれないし、感謝もしてくれません。
それに、辞めた後で何か言われようと、自分には関係ない事です。
残った人は残った人同士でよろしくやっているものです。
その人達がどう思ったとしても、自分にとってメリットもなければデメリットもない、もはやどうでもいいただの赤の他人なのです。
「自分が抜けたら他の人達に迷惑がかかる」という心配も幻想なのです。
自分が抜けたらその仕事は誰かがやるか、別の人にお願いすると思います。
自分が抜けたら回らないというのは本人の思い上がりに過ぎません。
そもそも自分がそんなに重要な存在なら、辞めたくなるような処遇をされる事はないはずです。
時分を冷遇する組織に、大切な自分の時間を捧げるのは人生の無駄遣いだと思います。
世の中にはもっと楽しくご機嫌になれる組織は沢山あり、それが選べるのです。
大人になってまで「選ぶ権利」を放棄してはならないのです。